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ボンバヘ中澤佑二の現在!年俸や海外移籍の秘話!子供はラクロスの日本代表



2019年1月8日に引退を発表。横浜FMからは契約延長のオファーを受けていた。しかし左膝の怪我の影響もあり40歳での引退となった中澤佑二選手

常に日本壁となってくれた姿に皆が胸熱でした。

40歳になっても、J1の強豪横浜Fマリノスから契約延長のオファーをもらえるとは、本当にサッカー人生のエリート選手ですよね!

そんな 中澤佑二はどんなサッカー人生だったのか?迫ってみたいと思います。


中澤佑二とは?


中澤 佑二(なかざわ ゆうじ、1978年2月25日 - )は、埼玉県吉川市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。血液型AB型。

日本代表でも長年中心選手として活躍しており、出場数は歴代4位の110試合を記録している。また、2010 FIFAワールドカップの開幕前までキャプテンを務めていた(開幕時より長谷部誠に変更)。Jリーグでは、2012年9月29日の大宮戦から、フィールドプレーヤーとしてはトップの199試合に連続出場。さらに2013年7月6日の大分戦から2018年8月15日の名古屋戦まで178試合連続フル出場という記録を持つ

代名詞は「ボンバーヘッド」

ヘディングには絶対的自信をもっており、高い打点からのヘディングでいくつかのゴールを生み出している
 
当時アフロヘア―で、うらやましい毛根を持っていたが30歳を機に毛根を気にしてアフロをやめたとのこと。

中澤佑二のプロフィール


愛称    ボンバーヘッド、ボンバー、ユウジ
カタカナ    ナカザワ ユウジ
ラテン文字    NAKAZAWA Yuji
基本情報
国籍     日本
生年月日    1978年2月25日(41歳)
出身地    埼玉県吉川市
身長    187cm
体重    78kg
選手情報
ポジション    DF
利き足    右足


通算試合数:699
得点:43

個人タイトル

    Jリーグ最優秀選手賞:1回(2004年)
    Jリーグ新人王(1999年)
    Jリーグベストイレブン:6回(1999年、2003年、2004年、2005年、2008年、2013年)
    AFC All Star Team:1回(1999年)
    日本年間最優秀選手賞:1回(2004年)
    AFCアジアカップベストイレブン:1回(2004年)
    東アジアサッカー選手権最優秀DF:1回(2008年)
    Jクロニクルベスト ベストイレブン(2013年)
    Jリーグフェアプレー個人賞:2回(2015年、2017年)
    J1リーグ・月間MVP:1回(2017年6月)


中澤佑二の日本代表歴


    2000年 シドニーオリンピック
    2000年 AFCアジアカップ2000
    2004年 AFCアジアカップ2004
    2006年 2006 FIFAワールドカップ
    2007年 AFCアジアカップ2007
    2010年 2010 FIFAワールドカップ

長きには渡って日本代表に君臨したDFであり、どんな指揮官からも高い評価を受けてきました。(トルシエジャパン、ジーコジャパン、岡田ジャパン)


国際Aマッチ 110試合 17得点 (1999年 -2010年)と歴代の選手の中でも上から数えた方が早く多くの試合に出場しています。


キャップ数は歴代7位(2019年5月 現在)


キャップ数トップ10


名前 出場数 得点数 初出場 最終出場 ポジション
遠藤保仁 152 15 2002年11月11日 2015年1月23日 MF
井原正巳 122 5 1988年1月27日 1999年7月5日 DF
岡崎慎司 116 50 2008年10月9日 2018年6月28日 FW, MF
長友佑都 116 3 2008年5月24日 2019年2月1日 DF
川口能活 116 0 1997年2月13日 2008年11月19日 GK
長谷部誠 114 2 2006年2月10日 2018年7月2日 MF
中澤佑二 110 17 1999年9月8日 2010年9月4日 DF
本田圭佑 98 37 2008年6月22日 2018年7月2日 FW, MF
中村俊輔 98 24 2000年2月13日 2010年6月19日 MF
香川真司 97 31 2008年5月24日 2019年3月26日 FW, MF


忘れられない試合はW杯カメルーン戦

中澤:2010年の南アフリカワールドカップの初戦、日本対カメルーンで勝った試合はうれしかったし、勝ったあとに(田中マルクス)闘莉王とかとみんなで喜び合ったことは、今でも覚えてます。

2010年ワールドカップ南アフリカ大会
本戦が始まる前の親善試合で4連敗を喫して「日本はもうだめだ」といった諦めムードの中、バルセロナのサミュエルエトー要するカメルーンに勝ち、ベントナーなど、一流選手を要するデンマークすら倒してベスト16へ進出。

パラグアイ戦も激闘の末にPKで敗れた。
日本中がお祭りムードのなか日本代表は凱旋。


帰国後の記者会見で、今野選手が岡田監督のモノマネをして日本中をドン引きさせて締めくくった大会でもある。


W杯開幕直前までの親善試合の結果
10.06.04     国際親善試合     ●0 - 2     コートジボワール 
10.05.30     国際親善試合     ●1 - 2     イングランド   
10.05.24     キリンチャレンジカップ2010     ●0 - 2     韓国  
10.04.07     キリンチャレンジカップ2010     ●0 - 3     セルビア


この敗戦で「岡田武史」監督は、ワールドカップのスタメンを大胆に変更しました。



中澤佑二は安室奈美恵のファン

安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S時代から安室奈美恵さんのファンのようで同年代で、同じ年に引退。

特に小室ファミリーから脱退してからの安室奈美恵さんのファンの模様。
脱退してからの安室奈美恵さんの曲調は一気に変わって、ここからファンになった人は多いと思われます。



中澤佑二の年俸


1996 / 300万円(アメリカFC(ブラジル))
1997 / 400万円(アメリカFC(ブラジル))
1998 / 500万円(ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969)
1999 / 1,000万円(ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969)
2000 / 1,000万円(ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969)
2001 / 1,500万円(ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969)
2002 / 2,500万円(横浜F・マリノス)
2003 / 3,000万円(横浜F・マリノス)
2004 / 4,800万円(横浜F・マリノス)
2005 / 3,000万円(横浜F・マリノス)
2006 / 9,000万円(横浜F・マリノス)
2007 / 9,000万円(横浜F・マリノス)
2008 / 9,000万円(横浜F・マリノス)
2009 / 1億2000万円(横浜F・マリノス)
2010 / 1億2000万円(横浜F・マリノス)
2011 / 1億2000万円(横浜F・マリノス)
2012 / 1億2000万円(横浜F・マリノス)
2013 / 1億1000万円(横浜F・マリノス)
2014 / 1億0000万円(横浜F・マリノス)
2015 / 9,000万円(横浜F・マリノス)
2016 / 5,000万円(横浜F・マリノス)
2017 / 4,000万円(横浜F・マリノス)
2018 / 4,000万円(横浜F・マリノス)

総額『約13億6000万円』となるようです。


中澤佑二は無名の選手?

中澤佑二は無名な選手として知られています。
東京ヴェルディに練習生として、無給で練習に通った事は有名な話です。

サッカーを始めたのは小学校6年生とプロ選手の中では遅め。埼玉県立三郷工業技術高等学校はサッカーの名門校ではなかったために、卒業後Jリーグに売り込む価値を上げるべくブラジルへサッカー留学を計画する。

ブラジルのサッカークラブ・アメリカFCに加入し、次第に練習試合などにも起用されるようになった。チームメイトにはジウベルト・シウバなどがいた。一年後にビザ更新の為日本に帰国したところクラブから必要書類が届かずブラジルでのプレーを断念した。

Jリーグの各クラブへ売り込みをかけたがどのクラブからも誘いは来ず、母校のサッカー部で在校生に混じって練習を続ける。1998年にヴェルディ川崎のユースチームとの練習試合で得点を挙げる活躍を見せ、これをきっかけに練習生契約での加入が決まる 。

ここまで情熱をもって最終的に日本代表まで登りつめる中澤佑二。
フィジカルは代表級ですが、そのメンタルも日本代表にふさわしい選手だったことでしょう。

チャラさも兼ね備えた日本が誇るセンターバックですよね。
それでいて、技術的には今一歩感がぬぐえず、よくいじられているシーンもありました。



中澤佑二が海外移籍しなかった理由

当時、海外からも注目されていて海外移籍を望めばできたようです。
しかしながら、中村俊輔選手などから海外移籍すると、日本代表とチームの移動が大変とのことでコンディションを重要視して海外挑戦を断念したようです。

あの当時は、まだまだ日本代表選手と言えど、海外からは低い評価でしたので、海外挑戦といった形でお試しの挑戦からのスタートだったことでしょう。

ですから、海外挑戦をして日本代表のスタメンの座がなくなるリスクを負うより、コンディションを重要視して日本代表に備える選択をとったのだろうと思います。


中澤佑二の引退会見の言葉

「私、中澤佑二は、2018シーズンをもって現役を引退する決断を致しました。自分の中では、プロ20年目となる昨シーズンを一つの区切りとして考え、全てを出し切るという思いで最終戦まで走り続けました。

そしてシーズンを終え、改めて自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニフォームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになるんじゃないかなという思いになりました。


小学校6年生からスタートさせたサッカー人生は30年。プロとしての現役生活は20年。振り返ると、ここでは書ききれないほどの本当に多くの方々に支えていただき、こんなに長く現役生活を続けることが出来ました。

もがき苦しみ、がむしゃらに掴み取ったプロ生活。来年もF・マリノスで現役を続ける選択肢もありましたが、最後は”中澤佑二”らしく、自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思います。

良い時も悪い時も共に戦っていただいたファン・サポーターの皆さま、チームメイト、チームスタッフ、スポンサー各社の皆さま、ホームタウンで支えてくださった皆さま、横浜F・マリノスに関わるすべての皆さま、そして東京ヴェルディに関わるすべての皆さま、本当にありがとうございました。

今後のことはこれからゆっくり考え、また皆さんにご報告出来たらと思います。20年間、本当にありがとうございました」


中澤佑二がラクロスへ転身


中澤佑二さんの新たな挑戦はラクロスのコーチをすることだそうです。

お子さんは二人の娘さんがいる中澤佑二さん。
実はお子さん二人ともラクロスのU19日本代表なのです。

ラクロスに挑戦して、お子さんと同じ境遇を味わいたい。
そんな願いからラクロスのコーチに転身したようですね!


中澤 こころ
Kokoro Nakazawa
学年(年次)
高校3年
年齢
17歳
身長/体重
162cm/50kg

中澤 ねがい
Negai Nakazawa
学年(年次)
高校1年
年齢
15歳
身長/体重
163cm/55kg



まとめ

いかがでしたでしょうか?

中澤佑二の年俸や子供の様子、サッカー人生について迫ってみました。

日本将来のためにもサッカーのコーチや監督になるべき選手ですので、若手育成に尽力してほしいのは、ファンのみならず関係者も思っていることと思います。

今後の動向も注目ですね!


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 [ 参考記事 ] 
https://www.j-wave.co.jp/blog/news/2019/02/radiko210.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%BE%A4%E4%BD%91%E4%BA%8C

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