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川口能活の嫁子供は?年俸は?ライバル楢崎と日本代表と引退



長きに渡って日本代表のゴールマウスを守ってきた川口能活選手。2006年W杯ドイツ大会、2010年W杯南アフリカ大会では主将を務めました。

ライバルでもある楢﨑正剛選手とのポジション争い。そしてオリンピックでも数々のスーパーセーブと日本の歴史に名を刻んだ正に日本が誇るゴールキーパーです。

[写真:インスタグラム]

川口能活の年俸


長きに渡ってJリーグや日本代表のゴールを守ってきた川口能活の年俸は以下の通りです。

横浜F・マリノスに加入    193試合
1994 (19)  360万円
1995 (20)  1,000万円
1996 (21)  2,000万円
1997 (22)  3,000万円
1998 (23)  4,000万円
1999 (24)  5,000万円
2000 (25)  5,500万円

ポーツマスFCに移籍    12試合
2001 (26)  7,000万円
2002 (27)  7,000万円

FCノアシェランに移籍    8試合
2003 (28)  6,500万円
2004 (29)  6,500万円

ジュビロ磐田に移籍    228試合
2005 (30)  6,000万円
2006 (31)  6,000万円
2007 (32)  6,000万円
2008 (33)  6,600万円
2009 (34)  1億0000万円
2010 (35)  1億0000万円
2011 (36)  3,000万円
2012 (37)  3,500万円
2013 (38)  3,500万円

FC岐阜に移籍    43試合
2014 (39)  3,000万円
2015 (40)  3,000万円

SC相模原に移籍    19試合
2016 (41)  1,000万円
2017 (42)  1,000万円
2018 (43) 

年俸総額 11億0460万円 503試合


川口能活の嫁や子供は?

川口能活さんと佳苗さんの馴れ初めは2003年のようで、当時は川口能活さんがイギリスのポーツマスFCに所属していて出場機会が無く不遇な時代を過ごしていました。

その後デンマークのFCノアシェランに移籍した川口能活さんは、ここでも正GKの座を獲得することはできず苦しい時代が続きましたが、この頃にスカンジナビア航空のキャビンアテンダントをしていた佳苗さんと出会ったと語っています。

川口能活さんと嫁の佳苗さんの間には2007年3月25日に長女の鈴々(りり)ちゃん、2013年末に名前は非公表で長男を授かったと報道されています。

未来の日本代表のゴールキーパーの誕生?かも知れませんね。


川口能活を伝説化したオリンピックとマイアミの奇跡

川口能活といえば、1996年7月22日、アトランタオリンピック1次リーグ第1戦でのブラジル戦。マイアミの奇跡。

今の日本サッカーからでは考えられないくらい弱小だった当時日本代表。

ほぼ日本代表側のピッチで試合が展開され、合計28本のシュートをブラジルから浴びせられました。それをことごとく跳ね返す川口能活。日本中が「やられたー」と思っても、失点しない日本代表。

そんな中、数少ないチャンスの中で起きたゴール。
そしてマイアミの奇跡と語られるようになりました。

当時ブラジル代表監督マリオ・ザガロも「日本のGKは素晴らしかった」と語っている  。

日本が勝てたのは、粘り強く守りきれたからに他なりません。
その最後のゴールを守っていた川口能活選手は、高い評価を得ました。



日本 1-0 ブラジル

[]は背番号

Japan
    [1]
    Yoshikatsu KAWAGUCHI (GK)
    [3]
    Hideto SUZUKI
    [5]
    Makoto TANAKA
    [6]
    Toshihiro HATTORI
    [7]
    Masakiyo MAEZONO
    [8]
    Teruyoshi ITO
    [9]
    Shoji JO (-87')
    [10]
    Akihiro ENDO (-76')
    [13]
    Naoki MATSUDA
    [14]
    Hidetoshi NAKATA (-81')
    [17]
    Ryuji MICHIKI

    Substitute(s)
    [2]
    Hiroyuki SHIRAI (+76')
    [4]
    Yuyi HIRONAGA
    [11]
    Shigeru MORIOKA
    [12]
    Kenichi UEMURA (+81')
    [15]
    Tadahiro AKIBA
    [16]
    Yoshika MATSUBARA (+87')
    [18]
    Takashi SHIMODA
    [19]
    Yoichi DOI
    [20]
    Kiyokazu KUDO
    [21]
    Masanobu MATSUNAMI
    [22]
    Sotaro YASUNAGA

Coach
Akira NISHINO (JPN)




Brazil

    [1]
    DIDA (GK)
    [2]
    ZE MARIA 
    [3]
    ALDAIR
    [4]
    RONALDO GUIARO
    [5]
    FLAVIO CONCEICAO
    [6]
    ROBERTO CARLOS
    [7]
    BEBETO
    [8]
    AMARAL (-46' HT)
    [9]
    JUNINHO PAULISTA
    [10]
    RIVALDO
    [11]
    SAVIO (-64')

    Substitute(s)
    [12]
    DANRLEI
    [13]
    NARCISO
    [14]
    ANDRE LUIS
    [15]
    ZE ELIAS (+46' HT)
    [16]
    MARCELINHO PAULISTA
    [17]
    LUIZAO
    [18]
    RONALDO (+64')
    [19]
    ANDRE CRUZ
    [20]
    GIOVANNI
    [21]
    JAMELLI
    [22]
    ROGERIO CENI

Coach
Mario ZAGALLO (BRA)

出典
https://www.fifa.com/tournaments/archive/mensolympic/atlanta1996/matches/round=197143/match=32223/index.html


そして「ジョホールバルの歓喜」へ

日本代表のサッカーの成長は川口能活と歩んできたといっても過言ではない、1997年のフランスワールドカップをかけたアジア予選。

勝ち負けを繰り返して、あとがない状態が続いた日本代表 。

しかしイランに勝てばワールドカップが決まる一戦でゴールを守った川口能活。
3-2でイランを下して、遂に悲願であるワールドカップの切符を手に入れた。


1997年11月16日
日本     3 - 2  (延長)      イラン

中山雅史 39分にゴール
アジジ 46分にゴール
ダエイ 58分にゴール
城彰二 75分にゴール 75分
岡野雅行 118分にゴールデンゴール 118分   

会場:ラルキン・スタジアム 
都市:ジョホールバル
主審:  マヌエル・ディアス・ベガ

スターティングメンバー
GK     20      川口能活
DF     2      名良橋晃
DF     3      相馬直樹
DF     4      井原正巳
DF     17     秋田豊
MF     6      山口素弘
MF     8     中田英寿
MF     10      名波浩
MF     13      北澤豪 90分に交代退場 90分
FW     11      三浦知良 63分に交代退場 63分
FW     32      中山雅史  63分に交代退場 63分

サブメンバー
FW     18      城彰二 63分に交代出場 63分
FW     30      呂比須ワグナー 63分に交代出場 63分
FW     14      岡野雅行 90分に交代出場 90分

監督
岡田武史
               


出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%93%E5%96%9C

出典修正:当サイト



悔しい思いの「2006 FIFAワールドカップドイツ大会

当時ロナウドにヘディングシュートを決められたワンシーン


第1戦のオーストラリア戦は相手の再三の攻撃を凌ぐも、スローインへの飛び出しから同点にされ、終盤に3失点を喫して1-3で敗れた。

第2戦のクロアチア戦では、キックに定評があるダリヨ・スルナのPKを止め勝ち点1を呼び込んだ(0-0)。

このプレーによって、ワールドカップでPKを止めた史上20人目のGKとして名を残した。またドイツ紙は川口に対し「何度も止めた英雄」と絶賛した。

第3戦のブラジル戦では、次々に放たれる21本のシュートを浴び4失点を喫するも孤軍奮闘の守りを見せたが、1-4で敗戦。しかし英メディアはブラジルの猛攻を再三好セーブで凌いだ川口を絶賛し、ブラジルメディアも好セーブを連発した川口を高く評価した。

チームはグループリーグ2敗1分けで決勝トーナメント進出を逃したが、自身はFIFAが選定した「グループリーグ敗退国ベストイレブン」の控えGKに選ばれた。

また、ブラジル戦で前半ジュニーニョ・ペルナンブカーノのミドルシュートを止めたセーブが「2006 FIFAワールドカップスーパーセーブベスト10」ランキングの6位に選ばれた。


川口能活楢﨑 正剛との確執

当時、川口能活にはライバル関係である選手がいました。それが後に日本代表正ゴールキーパー争いをする「楢﨑 正剛」さんです。

マスコミにも取り上げられていましたが、当時の関係は バチバチしたものだったようです。1つ上の先輩である川口能活さんは、負けらない気持ちが相当強かったことでしょう。

もちろんこの光景は、マスコミの恰好の餌食となり、常にライバル関係であること報じられ、そして常に世間の注目の的でした。

後にライバル関係であったけれど、彼がいたから自分がここまで成長できたと感謝の気持ちをお互いに語っています。


とにかく、何かバチバチしている情報が皆が聴きたかった情報だったので、なんとしても本人の口から言わせたいマスコミ各社のインタビューが過熱していました。


日本代表    国際Aマッチでは1997年では川口能活が正ゴールキーパーだったのですが、1998年から楢﨑正剛の台頭により、一進一退の攻防が始まります。2000年では、その争いが熾烈となり、お互いの出場数が同じになります。

その翌年2001年には楢﨑正剛が正ゴールキーパーを獲得し、そのまま2002年の日韓ワールドカップで正ゴールキーパーとして出場します。

しかし、その翌年からは川口能活が正ゴールキーパーとなって日本代表のゴールを守ります。そして2006年のFIFAワールドカップ、ドイツ大会まで正ゴールキーパーを務めることになります。

2006年、2010年は、その実績や性格が買われキャプテンとしてワールドカップに挑んでいます。

川口能活のプレースタイル

川口能活のプレースタイルは優れたキャプテンシーを持ち、逆境に立たされた際に存在感を発揮するプレイヤーである。キャッチフレーズは「炎の守護神」「魂の守護神」と当時テレビ、日本代表戦ではそのように紹介された。

上記でも書かれている通り、オリンピックでのスーパーセーブはその後の川口能活の代名詞となり、彼がいるだけで日本のゴールは破られない。と印象を多くのサポーターやファンに植え付けている。

後に中村俊輔も川口能活とのPKは、どこに蹴っても止められそう」「だから蹴るときに集中できずに、もし入ったとしてもそれはマグレであり勝負には負けている」と語っている。


川口能活はストイック

後に楢﨑 正剛さんが語っています。
川口能活さんはストイックで食事の面も気を使っています。
肉は鳥のササミしか食べずに、常にサッカー選手として良い状態をキープできるよう、筋力トレーニングなども欠かさず、常にストイックだったと。
 
楢﨑 正剛さんは、そんな川口能活さんの背中を追ってきたからここまで現役が続けられたと語っています。


川口能活は兄貴肌気質
横浜マリノス当時に 中村俊輔のフリーキック練習(FK練習)に何時間も付き合ってくれて、弟思いの兄貴分と慕われていたようだ



川口能活は童顔

40歳越えて、ようやく大人の顔立ちになった川口能活さん。
当時は童顔で、髪型もあいまって、年齢よりも低くみられたと思います。


川口能活のプロフィール

川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。

日本代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持つ。国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位、同ゴールキーパー歴代1位の116試合を記録。4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されている(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。オシムジャパン、岡田ジャパンでは主将を務めた。


ユース経歴

    1988年 - 1991年 東海大学第一中学校 (現・東海大学付属翔洋高等学校・中等部)
    1991年 - 1994年 清水市立商業高等学校 (現・静岡市立清水桜が丘高等学校)

プロ経歴

    1994年 - 2001年10月 日本の旗 横浜マリノス / 横浜F・マリノス
    2001年11月 - 2003年8月 イングランドの旗 ポーツマスFC
    2003年8月 - 2005年 デンマークの旗 FCノアシェラン
    2005年 - 2013年 日本の旗 ジュビロ磐田
    2014年 - 2015年 日本の旗 FC岐阜
    2016年 - 2018年 日本の旗 SC相模原

主な出場大会
    1996年 - アトランタオリンピック
    1998年 - FIFAワールドカップ・フランス大会
    2000年 - AFCアジアカップ2000 : 優勝
    2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001 : 準優勝
    2002年 - FIFAワールドカップ・日韓大会
    2004年 - AFCアジアカップ2004 : 優勝
    2005年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2005
    2006年 - FIFAワールドカップ・ドイツ大会
    2007年 - AFCアジアカップ2007 : 4位
    2010年 - FIFAワールドカップ・南アフリカ大会

チーム

    Jリーグ 優勝 : 1995
    AFCアジアカップ 優勝 : 2000、2004
    フットボールリーグ・ディヴィジョン1 優勝 : 2002-03
    Jリーグカップ 優勝 : 2010

個人

    1995年 - 新人王
    1996年 - 日本年間最優秀選手賞
    2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001 ベストイレブン
    2001年 - AFC月間最優秀選手賞 (6月)
    2004年 - アジアカップ2004 ベストイレブン
    2006年 - Jリーグベストイレブン
    2008年 - Jリーグフェアプレー個人賞 (ジュビロ磐田選手では初受賞)
    2013年 - Jクロニクルベスト ベストイレブン

その他

    1995年 - ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー (著名人部門)
    1996年 - 報知プロスポーツ大賞 (Jリーグ部門)
    1998年 - ベストドレッサー賞 (スポーツ・芸能部門)
    2002年 - 日本プロスポーツ大賞 (2002 FIFAワールドカップ日本代表として)

出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E8%83%BD%E6%B4%BB#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E6%AD%B4

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